初めまして、当ブログに来訪いただき、ありがとうございます。
プロフィールページということで、自己紹介を書こうと思います。
苦手な自己紹介します。よろしくお願いします。
どうも当サイト運営しております。ららくです。
ブログ始めるにあたって、適当に決めたこの名前。今は変えたいな〜と思っておりますが、ブログ名にも使っちゃてるし、と思ってなかなか変えられません。
実はちゃんとした由来があるのですが、説明するのも面倒だし、面白くもなんともないので割愛します。
男、独身、寂しい独り身です。
出生から高校生までの話はまた後ほど、何かの記事で書くとして(ブログを備忘録的な使い方したいので、いつか書きたい)、大学院くらいからのお話。
絶対会社員にはなりたくないと思ってた
中学生の頃から「絶対に会社員にはなりたくない」と思っていました。
毎日同じような生活リズムで、同じ人と顔を合わせて、、、。つまらなそう!(個人的感想)と。
で、当時から音楽は好きで、「バンドやりたい、音楽やりたい、かっこいい〜」なんて、考えてました。憧れでした。
しかし、中学生の頃にコピーバンドもどきみたいなことはやっていたものの、あまり続かず、やはり保守的な私は高校卒業後、フリーターやりながら音楽活動!なんて冒険に出ることはできず、結局大学進学。
大学進学後も軽音部に入るなんてこともせず。
そして、いつしか「音楽」から「学者」になりたい、なんて将来の夢が変わります。これが高校卒業くらいから。
自分の興味のある分野をとことん突き詰める。そして、学者のぶっ飛んだ感じ(多様性ってやつ?)。それを良しとする雰囲気。魅力を感じていました。
大学院に進学。その後の進路は?
大学院に進学後は、めちゃくちゃ研究一筋みたいな生活を送ってました。
朝は11時ごろに学校に行っていたものの、夜は日を跨ぐことも。
もちろん徹夜したことも、学校に泊まったことも、朝の2時ごろに学校に行ったこともあります。
それは気が狂ったように、学校に住み着いていました。
土日に休むことなんて、ほとんどなく。
GWやお盆、年末年始も帰省なんてせず、大晦日も元旦も学校で過ごしたり。
そんな甲斐あってか、大学院時代に借りていた貸与型奨学金は返済免除になるなど、少なくとも人並みには成果を残せたのかなと思います。
当時はそれなりに自信もあったと思います。今会社員になって思い返すと、自分の研究成果は指導してくださった先生方や先輩方の支援によるところが大きいかったな、なんて思ったりしてます。当時の自分に関わってくださった方には本当に感謝です。
話は逸れましたが、当時は(表向きには)それなりの成果が出せていたので、このままアカデミックの現場に身を置きたい!と思う気持ちは強くなり。
周りが就職活動をしている中、研究の合間に一応経験しとくか、みたいな感じで、適当にインターンや会社説明会に参加していました。
両親の理解は得られず、絶対になりたくないと思っていた会社員の道へ
で、いざ就職活動解禁の3月を迎えました。公に面接解禁日です。
私は研究を続ける気満々だったのですが、両親の理解は得られませんでした。
ちなみに、アカデミックの世界で研究者になるには、博士号取得が必須といっても過言ではないです。稀に、修士号取得者が研究者のポストについた後で博士論文を提出し博士号を取得する例はあるようですが。
大学 学部生(4年)→大学院 修士課程(2年)→大学院 博士課程(3年)という過程が一般的です。
修士課程の学生は、修士1年の初夏ごろからインターンなどにぽつぽつ参加し、3月から本格的に面接開始というスケジュールで就活していました。(現在、変わってるかも)
なので、上の話は修士1年の春ごろの話。私は博士課程に進学する意思があったものの、親の理解が得られず、泣く泣く就職する道へという話。
金銭的なこともありますし、日本の博士号取得者の待遇を見ると、親としては承諾しづらい部分がやっぱりあるのだと思います。
ネットで検索しても、博士号取得後の生活にはネガティブな記事が多いですよね。というかネガティブな記事ばかりです。
ちなみに世界に目を向けると、博士号取得者の待遇は修士号取得者と比較して、かなり良いのが一般的らしい。そのため日本では、高度人材が育ちにくく、例え育ったとしても待遇の良い海外へ人材が流出したり、海外の研究者を日本の研究機関に呼び込みづらくなったりと課題があり、日本の博士号取得者の待遇改善は急務となっています。
ということで、話を元に戻し、進学を反対されたことは当時全く納得できなかったし、正直理解してくれない親を心の中でよく思っていませんでしたが(現在は親の気持ちも理解できるし、日々感謝の気持ちでいっぱいです)、中途半端な気持ちで就職活動を開始しました。
就職する気がなかったものの保険としてなんだかんだ面接等受けていたので、3月末には何社か内定をもらうことができ、無事無職にならずに済んだと。
だらだら書きましたが、とにかく就職先が決まったわけです。
就職が決まった後の心情。株式投資に出会う。
就職先が決定した後は、「もう研究者の世界に未練タラタラはやめよう」と改心し、就職した会社でそれなりに出世して、それなりの生活できたらいいか、なんて考えてました。
入社後、そんな将来は全く描けなくなります。
研究成果さえ出していれば、自由に生活でき、良い意味で普通じゃない人の多かった大学院時代と社会人生活とのギャップはあまりにも大きかったです。
挙げ出すとキリがありませんが、「会社で貰える給料」=「我慢料」といったイメージしか抱けず、何だか日々感情がなくなるような気さえしました。
これは会社が悪いとかそう言うものではなく、私に会社員と言う働き方合わなかっただけだと思います。
そんなモヤモヤした気持ちを抱きつつ過ごす中で、世間では「FIRE」がブームとなっており、株式投資に興味をもつようになりました。
2020年コロナの影響で冷え込んだ経済を下支えしようと世界中で金融緩和、お金のばら撒きがなされ、その後米国株指数が頻繁に最高値更新していた時期でした。
株式投資でセミリタイアを目指す。
FIREの考え方を知った後、「節約・入金投資・配当再投資」をひたすら繰り返し始めます。
お世辞にも多いとは言えない給料の大部分を株式投資に回し、配当金で生活費を少しでも賄えるようになろうと。そして、時間はかかっても、いつの日か配当生活なんてやってみたいなあと。
20代も後半に差し掛かり価値観の変化
そんなこんなで「節約・入金投資」を2年ほど続け、それなりに配当収入も増えました。
そんな中、様々なきっかけで価値観が変化しつつあります。
身近な人の結婚、大学時代の同級生や先輩が子を持つようになるのを見て、僅かながら羨望を感じます。
そして、仕事に関しても、サラリーマンを続けることも悪くないかもしれないと意識が変化しつつあります。(会社員に染まっていっているのでしょうか。それだけは阻止したい!なんて思いもあるのも確かです。また、同じ会社で長く働き続けるかと言われると即答はできませんが。)
とりあえず資産が大台に乗った暁には、人生の伴侶を見つけたい!なんて、テスト期間中に部屋の掃除をする中学生みたいなことを心に抱くようになりました。
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