やっぱりお酒を飲むと、その日寝つきが悪くなって、夜中起きちゃうしで、次の日がしんど過ぎますね。
できたら、お酒なんて飲みたくないと思う今日この頃。
別に好きでもなんでもないんですよね。お酒。
太宰治「猿ヶ島」読んで
*ネタバレが出てきますので、ご了承を。短編小説なので、まずは軽く「猿ヶ島」を読んでみるのもおすすめ。青空文庫で無料で読めますよ。
あらすじはこんな感じ。
はるばる海を超えて、とある島に辿り着いた「私」。
その島で出会った「彼」と、この島での生活や青い目の人々について話すうちに、自分が動物園の「見せ物」であることに気がつく。
そう、「私」と「彼」は、日本からイギリスの動物園に連れてこられた日本猿なのでした。
そして、最終的に二匹の日本猿は動物園を逃げ出しました。という話。
お話としてもかなり面白い。叙述トリック的な、登場人物が猿だったと。
そしてこの話の中で印象的だった言葉がこちら。「私」が「彼」に「逃げる(動物園を脱走する)」と明かした際に、彼が返した言葉です。
「よせ、よせ。降りてこいよ。ここはいいところだよ。日が当たるし、水があるし、水の音が聞こえるし、それにだいいち、めしの心配がいらない。」
猿ヶ島 太宰治
この言葉は「会社を逃げ出したいサラリーマン」にそのまま置き換えることのできる一言ではないでしょうか。
誰にも流れている「山で育った馬鹿な血」
この「彼」の言葉を聞いて「私」は以下のように反応します。
この誘惑は真実に似ている。あるいは真実かも知れぬ。私は心のなかで大きくよろめくものを覚えたのである。けれども、けれども血は、山で育った私の馬鹿な血は、やはり執拗に叫ぶのだ。
ー否!
猿ヶ島 太宰治
日も、水も、水の音も、そしてめしの心配もいらない動物園という「環境」。
動物園の猿たちは、生命の根本である「生きる」ためのライフラインの維持と安定を、動物園に握られているということです。
このライフラインの維持と安定は、非常に心地いいものかも知れません。
だから、「私」も、「彼」から動物園がどんなにいい環境か聞かされた時に、”心のなかで大きくよろめくものを覚えた”のでしょう。
それでも、逃走した。山で育った馬鹿な血は、執拗に「否」と叫んだ。
会社員も「給料」という形で、「生きる」ための環境の維持と安定を会社に握られていると言っても過言ではないでしょう。
確かに「会社」という組織は、いい環境なのかも知れません。
それでも、ライフラインの維持と安定の引き換えとして、時間や住む場所、付き合う人など様々な自由を差し出しているといえます。
それを是とするか非とするか、それは人それぞれ。
でも、例え、「組織から逃げ出したい」と思わなかったとしても、単一の組織にライフラインを依存している状況というのは、あまり好ましくないともいえます。
少しでもそう思う方は、資産形成を筆頭に収入の複線化を考えても良いのではないでしょうか。
私個人は、「組織から逃げ出したい」側の人間です。
「金銭的な余裕があれば、今の仕事を続けたいか?」と聞かれた時に、首を盾に振れないなら、「組織から逃げ出したい」側の人間の素質あり??笑
猿ヶ島のお話の中では、脱走意欲を告白した「私」だけでなく「彼」も脱走しています。
この部分も考慮すると、どんなに生きるために必要十分な環境の中に身を置いていたとしても、誰にでも「山で育った馬鹿な血」が流れており、心のどこかでは「否!」と叫んでいるのかも知れませんね。
(全てがそうとは限りませんが)機械的に、毎日同じようなスケジュールで、同じような環境で、同じ人と時を過ごす。
こういった生活に「山で育った馬鹿な血」が拒否反応を示しているのかも知れません。
生物は根本的に生活の中に「刺激」を求めているのかも知れません。
そして、「私」と「彼」が脱走を決意したきっかけは「自分たちが動物園の見せ物である」と気がついたことにあります。
気がついていない「他の猿たち」は逃亡していない。本文でも「他の猿は気が付いていない」と明確に書かれています。
ここからの学びは、自分を客観視して現状把握し、そこで自分の心に語りかけ、自分の内なる欲求に耳を傾ける。そして、自分に素直になること。
やはり自分は今の生活に満足してないんだろうな〜と。
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