エッセイ

慈しみよこんにちは、と言ってみたい秋の夜長

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前日書いたような感情が、たまに襲ってきて、どうしようもなくなるせいで、なかなか結婚して家族を持つ、みたいな決心というか覚悟を持てないでいます。

「愛」っていうのが「自分のことを犠牲にしてでも相手に尽くしたいという気持ち」とすると、果たして自分は家族ができたとして、そういった感情を常に抱いて生きていけるんだろうかと思ってしまいます。

やっぱり家族を持つってそれくらい責任が伴うと思うし、将来家族を持ったことを後悔してしまうんじゃないか、なんて考えてしまうと、そんな感情を持ってしまうことが怖くて億劫になっているだと思います。

それなら少々寂しいかもしれないけれど、自分のためだけに働いて、自分のためだけにお金を使って、気楽に過ごした方がいいんじゃないだろうかと。

結婚や子供を持つことに憧れが全くない訳ではないけれど、そんなことを考えて尻込みしていたら、いつの間にか26歳も後半戦に突入しようとしています。

年老いてこの記事を読んだら、「この頃にちゃんと婚活しておけばよかった」なんて思うのかなあと。

でも、結婚が目的で、結婚のために相手を見つけるっていうのも、なんだか何だか変な気がする。

「愛」ってのを本当に抱く、そんな相手に巡り合っていないだけ?でも、カップルがお互いにそういう感情を抱く相手同士ってのも、実際難しいんじゃないって思ったりもして、どこかでみんな妥協?しているんじゃないかって思ったりもする。

考えれば考えるほどよく分からないし、多分相手に「巡り合う」なんて言ってる時点で全くダメな気がするし、というわけで、多分この先もひとりで生きていくんだろうなあと思う、秋の夜長。

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