エッセイ

臍から膿。腹痛でのたうちまわり人生イチしんどかった話。その1。

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とある月曜日、なんだか臍の下のあたりに違和感がある。

腰を曲げるとわずかに痛みがあるが、全く気にならない程度だった。排尿のときにも若干違和感のようなものも感じる。

その週の金曜日。会社の同学年の同僚と飲み会。久しぶりに飲みすぎたなと思うくらい飲んだ。千鳥足気味なものの、記憶をなくす程度ではない。帰宅後、しっかりシャワーを浴び、デンタルフロスと歯間ブラシ、歯磨きも済ませ、床につく。

次の日。土曜日の朝。布団から起き上がると、何だか臭う。

この匂いは嗅いだことがある。約10年前。高校生の頃におへそを掃除したばっかりに、臍から膿が出るようになった。その時の匂いと同じだ。嫌な予感を覚える。

次の日の夜。案の定、臍から膿がで始める。デジャヴだ。

月曜日。次の日の朝。会社の方々へ、通院で出社が遅れると連絡し、近くの泌尿器科へ。なぜ泌尿器科を受診したかというと、尿膜管遺残症なる言葉をインターネットで見つけたからだ。

尿膜管遺残症とは、出生前には消失するはずの、膀胱とおへそを繋ぐ管が出生後も残っている状態のことを言う。尿膜管遺残症の人は、臍炎や膀胱炎になることがあるそうなのだ。もしかしたら、私はコレかも、、、。そう思い、泌尿器科を受診した。

泌尿器科では、まず検尿を行った。この時はまだ検尿なんてする必要あるかな、なんて思っていた。

そして名前を呼ばれ、診察室へ。

開口一番、先生は「お臍の膿で泌尿器科に来る人は珍しい、自分で調べたの?」と。私は「そうです。」と答える。

そして先生曰く、若干血尿が出ているとのこと。それを聞いて、ちょっぴり怖くなる。その後、エコーでお腹の中を覗き見ると、臍の下あたりに袋状のものがあるらしい。検尿のために排尿を済ませたため膀胱はよく見えず、また来週に尿を溜めてから見てみましょうと言われる。

抗生物質と痛み止めを処方してもらい、膿が出た後に袋状のものが消えるのかも、次回確認しましょうとのこと。そして、やはり尿膜管遺残症の話も受ける。現在私は実家を離れ一人暮らしをしており、「手術、入院となると実家の方でやった方が良いと思うよと」アドバイスされる。やっぱり、結婚して支え合える家族を持つのは大事だなあとちょっぴり思う。

その後少しずつであるけれど膿はでたものの、数日後止まった。普通にしていれば痛みはなく、歩いたり横になったりする時に痛むくらいだった。

そろそろ治ってきたかなと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。

金曜日、とある事情で実家に帰る。めちゃくちゃ久しぶりにびっくり亭を訪問。やっぱりパンチが効いている。

そして昼頃から痛みが少し強くなってきたなと感じるが、まだ我慢できる程度。夜ご飯はお腹があまり減っておらず、おでんの残りを食べた。大根と卵揚げ豆腐。そして薬を飲む。

大変なのは夜だった。21時ごろには床についたが痛みで全く眠ることができない。そして、0時ごろには救急車を呼ぼうか迷うくらいに痛み始める。我慢できずに、起こすのは気が引けたが、寝ていた母親に痛みを訴える。

夜間診療をやっている近くの大きな病院に連れて行ってもらう。痛すぎてシートベルトの紐を握りしめながら。歩いたり車の座席に座るのも、まるで歩行がままならない高齢者のようだったと思う。

受付を済ませ、座って待つように言われるが、座るのも嫌なほど痛みがひどかった。症状を話すのも辛い。熱を測ると37.7℃もある。そんな感覚はなかった。そして10分ほど経ったか、診察室に呼ばれる。

先生は若い女性だった。経験が浅そうな印象を受けた。ヘソを見せたところ、「膿んでるんですねー」っと。そして仰向けになるように言われたので、ゆっくりまたもやご老体に鞭打つように横になったところ、臍から蛇花火のように何かが噴き出す感覚を覚える。正体は膿だ。人の臍から膿がニョキニョキと噴き出す瞬間なんて、そう見られるものではないと思う。その瞬間を自分で見られなかったことを後悔している。「あー膿が出てきましたね」と先生。その後、腹部を押さえ膿を出来るだけ出そうと試みているようだった。

ある程度膿の量は落ち着いてきたので、エコーをとる。「まだ袋状のものがありますね」と先生。再度腹部を押して膿を取り除こうと試みるも上手く出ないようだ、、、。

膿が出たからか、痛みは大分マシになった。あの痛みから少しは解放されてちょっぴり安堵。

「来週月曜に〇〇県(現住所)の泌尿器科を受診する予定があるなら、そちらの方で受診して、手術などの処置もそちらでやった方が良い」と、先生に言われる。泌尿器科の先生と全く逆のことを言っているが、普通に考えると周囲に人がいる実家の方がサポートもあり良いように思う。

「やれることも現在処方されている抗生物質の処方を続けることぐらい」だそうだ。こういう大きい病院はあまり患者を受け入れたがらないのかなと思う。外科医の先生含め、勤務医だろうし。救急車を受け入れたがらない先生がいると病院事務として働いている友人に聞いたことがある。とりあえず外科の先生に今後どうするか確認してみると言われ、ちょっとの間待たされた。

外科の先生に確認したところ、やはりやれることは抗生物質を服用することくらいだそうだ。痛み止めを追加でもらいその日は帰る。深夜2時ごろだ。

帰りにコンビニで膿が流れ出るのを防止するためコットンとテープ、そして水を買い、帰る。

帰宅後は痛み止めを飲み、30分ほどしてから床についた。痛みが引いたのもあり、眠りに落ちるまでそんなに時間はかからなかった。

そして今日は朝6時半ごろ起床。痛みは強くないものの、まだ少し膿は出続けているようだ。腹部も全体的に腫れたように盛り上がっている。大丈夫だろうか、と心配だ。歯磨きしようと鏡の前に立つと眉間に皺の跡がついている。それほど昨夜はもがき苦しんでいたのだろう。

献身的にフォローしてくれた家族には感謝してもしきれない。特に母親は何から何まで手伝ってくれた。本当にありがとう。

そして、家族のありがたみというものを身をもって感じることができた。もし昨夜を〇〇県(現住所)で過ごしていたらと思うと、本当に近くに誰かいてよかったと思う。たぶん救急車を呼んでいたかもしれない。

今後の生活も不安でならない。仕事はあるし、〇〇県(現住所)に帰り、そちらで受診した方が良いのか?血液検査の結果も聞いてないし。でも、一人暮らしに戻るとして、ご飯はどうするのか?また症状が悪化したら??と思うと怖い。そもそも車も自転車もなく通院するのにも大変だし、歩くのも高齢者並みの、もしかしたらそれ以上に遅いスピードだし。本当にいろいろと怖い。

健康って大事だよ。また経過を書けたらと思う。

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